転職すると、すべてが良くなるわけではありません。
私の 2社目1年目 は、まさに “ギャップ” と “ストレス” の連続でした。
この経験は、今振り返ると大きな糧になりましたが、当時は本当にきつかったです。
■ 給料1.5倍。環境も仕事もすべて変わる転職初年度
2社目は自動車メーカー。
給料は 1.5倍 と言っても大げさではないほど上がり、
私は実家を出て、一人暮らしもスタートしました。
ただその裏で、仕事環境は1社目と“真逆”。
- 開発部内の生産技術
- 元々は材料開発の部署
- 機械系・生産技術出身がほぼゼロ
- 量産設備の経験者もほぼゼロ
前職では当たり前だった「量産の現場感」は、ここでは完全に通用しませんでした。
■ 生産技術より“設計思想の押しつけ”が強い世界
開発部という性質もあり、
考え方は 製品性能>生産性・作りやすさ。
部品コストよりも性能優先。
作業者負荷よりもアイデア優先。
当然、設備に対する価値観も違いました。
- ピック&プレースは「地味」
- からくり・重力・スイングなどが「カッコいい」
- かっこよさ優先の設備構想が求められる
- 「これじゃアピールできない」と平気で言われる
私はずっと“量産現場”で鍛えられてきたので、
正直 「こんな設備で量産なんてできるわけない」 と何度も思っていました。
でもその感覚は周りに理解されず、
「まともな感覚が共有できない」環境がかなり苦しかったです。
■ お金の使い方にもカルチャーショック
開発部はとにかく予算が潤沢。
- ちょっとしたテストに100万円
- 実験用治具は気軽に外注
- デモ用設備は使用後すべて廃棄
“もったいない精神”が強い私は、
「お金をドブに捨ててる…」 と感じる場面が多かったです。
■ 設計経験者がほぼいない環境で、メンバー指導を任される
設備設計の経験者がほとんどいなかったため、
私はメンバーから 「設備を設計できる人」 として見られていました。
- 設計指導
- 図面チェック
- 設備構想のアドバイス
私からすれば普通のことでも、
大手企業では設備を内製できる人が極端に少ないため、
周りからは想像以上に評価されました。
■ “デモンストレーション設備”を作り続けた1年
転職1年目の主なミッションは、
「開発部主導のデモ設備を作り、生産技術力をアピールすること」
…これが、とにかくしんどかった。
実質、
- おもちゃみたいなアトラクション装置を作る
- 見学者にアピールするためだけの設備
- 量産には全く使えない
- デモがっ全て終わったら廃棄
私は心の中でずっと
「こんなの何の意味があるの?」
と思っていました。
量産設備しか作ってこなかった私にとって、
“ショーのための設備作り”は本当に辛かったです。
■ 上司が“最強レベルでヤバい人”だった
極めつけは上司。
- すぐキレる
- マネジメント能力ほぼゼロ
- 指示は「早くやれ」だけ
- 過去にも問題を起こしている
私のキャリアの中で、
間違いなくワースト1、2位の上司 でした。
この上司の存在が、精神的に大きな負担でした。
■ 担当役員への報告会(2週に1回)という試練
さらに、2週間に1回は“役員報告”。
相手は、あの最終面接で私を圧倒してきた 超怖い役員。
- 資料作成
- プロジェクト報告
- 質疑応答
毎回胃が痛くなるレベルで緊張しました。
■ それでも救われたのは「同世代の中途勢」
唯一の救いは、
同じ時期に入った中途採用メンバーの存在。
- 年齢が近い
- 元の会社もバラバラ
- 不満や違和感を共有できる
彼らと話すことで、メンタルはギリギリ保てていました。
■ まとめ:給料は上がった。でも心はしんどかった転職1年目
転職1年目は、
- 専門性の違い
- 価値観の違い
- 設備に対する考え方の違い
- スピード感
- 上司のクセ
- 役員報告の重圧
と、1社目とは真逆のギャップだらけでした。
正直に言うと、
キャリアの中でも最もストレスを抱えた1年 でした。
でも、この“地獄の1年”を乗り越えたことで、
2年目以降の成長が大きく加速していきます。
✨次回
2社目2年目|新製品開発・工法開発・試作に本格参戦した年
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