【6年目】他工場の設備移管と“内製文化”の価値を痛感した一年

生産技術のリアル

▶ 1社目(大手電機メーカー①)キャリア連載(全10回)


①【1年目】新人時代の総集編
②【2年目】主担当として初めて任された業務
③-1【3年目前半】人生初の海外出張と新ライン立ち上げ
③-2【3年目後半】製造/製造技術との衝突と人生を変えた“異動の転機”
④【4年目】初めての自動機設計と師匠との出会い
⑤【5年目】汎用自動機設計で“どんな製品にも転用できる設備”を経験
⑥【6年目】他工場からの設備移管と内製文化の価値に気づいた話← 今ここ
⑦【7年目】50台量産ラインの地獄と組織のリアルを学んだ年
⑧【8年目】上司交代と、転職が頭をよぎった瞬間
⑨【9年目】1秒サイクルの怪物設備と転職を決めた最後の1年
◎【総集編】

入社6年目は、
「内製で設備を設計する文化」 の価値を強烈に実感しながら、
前年に開発した汎用自動機を 全く違う製品へ展開する経験 を積んだ一年でした。

国内工場の再編、他工場の設備移管、
初めての3D CAD導入、専用機設計、海外向けライン構築…
とにかく学びの多い一年でした。


■ 他工場の閉鎖 → 設備移管プロジェクトがスタート

この年、国内の別工場が閉鎖され、
そこで使用されていた設備が私の工場へ移管されることになりました。
移管されてきた設備は、製品も私たちの工場とは全く違うもの。

そして何より驚いたのは、
その設備の“レベルの低さ” でした。

理由を考えると答えは明確でした。

  • 他工場は「設備を内製で設計する文化」がない
  • 基本的に外注へ丸投げ
  • 設計側の理解が浅い
  • 外注も仕様の本質を掴めず、適切に作り込めない

「外注=悪」ということではありません。
しかし、発注側が設備設計を理解していなければ、
どれだけ優秀な外注でも良い設備は作れない のだと痛感しました。

世の中の設備レベルは、実はそこまで高くない──
初めてそう感じた瞬間でした。


■ 自分の工場は“内製文化が強い” → 技術レベルの高さを再認識

移管設備のレベルの低さを見たことで、逆に、
自分の工場の技術力の高さ を改めて実感しました。

私の工場は「設備を内製で設計する文化」が根付いており、
メンバー全員の技術レベルが非常に高い。

  • どうすれば安定して生産できるか
  • どうすればメンテナンスしやすい設備になるか
  • どうすれば構造を簡素化できるか
  • どうすればコストダウンできるか

これらを“根本から理解した上で”設計しているため、
設備の品質も組立性も圧倒的でした。

若手のうちにこの工場へ配属されたのは、本当に運がよかった。

心からそう思いました。


■ 生産技術には2種類ある

「内製で設備を作る会社」

「外注へ丸投げする会社」

若手のキャリア形成には、この差が非常に大きく影響します

内製の会社
→ 設計力・改善力・設備理解が圧倒的に伸びる
→ 成長スピードが段違い

外注メインの会社
→ 書類作成・折衝・調整が中心
→ 設計スキルがつきづらい

しかし、現実として大手メーカーで“内製”を続けている企業は少なく、
技術をつけたい若手ほど進路に悩む構造があります。

私は4社大手で働きましたが、
中小企業 → 大手企業への転職成功例はほぼ見たことがありません。

だからこそ若手には、

若いうちに“内製できる大手メーカー”へ入り、
その後さらに大手へステップアップするのが最適。

と、本気で伝えたいです。
歳を重ねてから、内製に挑戦するのはハードルが高いですから。

そして、
内製は技術がつく反面、“1人で出せる成果には限界がある”。
年齢を重ねれば、外部と協力しながら大きな成果を出すことが必要だとも感じました。


■ 汎用自動機を別製品へ展開するプロジェクトへ

移管設備はNG → 汎用機でライン再構築

移管設備はあまりにレベルが低く、
とてもリピートできる状態ではありませんでした。

そこで、前年に設計した 汎用自動機を別製品へ転用 し、
新しい生産ラインを構築するプロジェクトがスタート。

さらに、その中で
レーザー溶接の専用機 が必要となり、
その設計を私が担当しました。


■ 初めての「3D CAD」導入 → 剛性解析にも挑戦

この専用機設計で、
初めて 3D CAD を本格的に導入しました。

  • フレーム構造の設計
  • 剛性解析
  • 干渉チェック

2D図面だけでは気づけなかった課題が明確に見えるようになり、
設計の幅が一気に広がった瞬間でした。


■ 海外工場向けの2ライン目 → しかしプロジェクトは中止

この汎用機ベースのラインは海外工場へ導入する予定でしたが、
国内での試運転途中に プロジェクト自体が中止 に。

(おそらく製品販売の見込みが下がったためだと思われます)

悔しさはありましたが、

プロジェクトはいつも成功するとは限らない
それでも、得られた経験は確実に自分の成長につながる

と実感した出来事でした。


■ まとめ:6年目は“内製”の価値を痛感し、技術の幅が一気に広がった年

  • 他工場の設備移管で外注依存の限界を知り
  • 自分の工場の技術力の高さを痛感し
  • 内製と外注のキャリアの差を理解し
  • 汎用機を新製品へ展開し
  • 初めての3D CADで設計の幅が広がり
  • 海外ライン導入プロジェクトも経験し
  • 完成しなかったプロジェクトから得るものも多かった

6年目は、
「技術をどう伸ばすか」「どんな環境で成長できるか」
深く考えさせられた一年でした。

✨次回

海外向け新規設備の設計/組立/立ち上げ

▶[次回:7年目|50台量産ラインの地獄と組織のリアルを学んだ年
▶[前回:5年目|汎用自動機設計で“どんな製品にも転用できる設備”を経験

▶ 1社目(大手電機メーカー①)キャリア連載(全10回)


①【1年目】新人時代の総集編
②【2年目】主担当として初めて任された業務
③-1【3年目前半】人生初の海外出張と新ライン立ち上げ
③-2【3年目後半】製造/製造技術との衝突と人生を変えた“異動の転機”
④【4年目】初めての自動機設計と師匠との出会い
⑤【5年目】汎用自動機設計で“どんな製品にも転用できる設備”を経験
⑥【6年目】他工場からの設備移管と内製文化の価値に気づいた話← 今ここ
⑦【7年目】50台量産ラインの地獄と組織のリアルを学んだ年
⑧【8年目】上司交代と、転職が頭をよぎった瞬間
⑨【9年目】1秒サイクルの怪物設備と転職を決めた最後の1年
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